その週、渡神島は妙にざわついた一週間になった。ナカ商店街の「コンサルタント事務所」の黒板は相変わらず白いままで、窓口のすりガラスの奥をのぞき込む者、ノックしてみる者、写真を撮って帰る者が入れ替わり立ち替わり現れ、ちょっとした溜まり場になっていた。十年近く一日も欠かさず書かれてきた「今日のレート」が、白い板の上に何もない——それだけのことが、これほど島の空気を変えるとは、誰も思っていなかったはずだ。日が落ちてから通りかかった何人かは、ガラスの奥にほんの一瞬だけ灯った小さな明かりを見ている。少なくとも、夜逃げではないらしい——それが今のところ島に流れる最も確かな情報だった。誰が経営しているのかを、しかし誰も口にしない。「あそこのことは、聞かないのが礼儀ってもんだ」という空気だけが、商店街の大人たちのあいだに共有されていた。
同じ頃、修理屋「なんでも直す」の店先には、客より質問者の方が多く訪れる日が続いた。沖田は同じ説明を何度か繰り返した末に、とうとう段ボールの切れ端にマジックで箇条書きを記し、シャッターに貼り出した。「盗られたもの:配管レンチ(21mm)、絶縁手袋、ヘッドランプ。現金被害なし。犯人像:道具の分かるやつ。以上」。紙の前で、聞き込みに来た者同士が気まずく顔を見合わせる場面も一度や二度ではなかったという。沖田本人は怒るというより、どこか感心した様子で「盗ったやつ、道具を粗末にするやつじゃねえ気がすんだよな」と誰にともなく漏らしていた。
スーパー「ナンジィ」の棚も、ところどころ歯抜けになっていた。店を営む老夫婦は同じ説明を繰り返す羽目になった。「盗まれたのはほんの少し。空っぽなのは、みんなが買い込んでるからなの。ほら、両替所が閉まっちゃったから」。レートの止まった島では、缶詰や乾麺が静かに通貨の顔つきを帯び始めていた。集合住宅の物干しからは作業着が一式、中央医療センターの売店からは絆創膏とビタミン剤、消毒液が消えていることも、聞き込みに歩いた者たちの間では既に知られた話になっている。金目のものには、誰も手を出していない。
D区では、両替の出口が塞がれたことで現物相場が荒れ、魚一匹の値が午前と午後で倍近く違うという日もあった。番の世話人たちが夜な夜な連れ立って歩き回る姿が目撃されているが、何を探しているのかを、誰も知らない。「神谷さんがピリついてる。ここ数年で一番だ」という声が、露天のあいだで低く交わされていた。港では、みなみ丸の出港の合図が鳴っても、タラップに上がる足音がいつもより少ない週だった。円がなければ本土で一晩も過ごせない——そう言って乗船を見送った者の話が、あちこちで又聞きされている。
それでも、誰かが台所で飯を作り、誰かが店先で麦茶を出し、誰かが子どもの相手をしている。学習センターでは相変わらずAIによる個別学習が続けられ、時折開かれる有志の授業にも子どもたちが顔を出していた。帰り旗のカウンターにはいつもの顔ぶれが並んだ。統括局の窓口では今日も誰かが書類を提出し、医療センターでは今日も誰かが順番を待っている。渡神島の一週間は、白い黒板と歯抜けの棚と、張り詰めたD区の空気を抱えたまま、それでもいつも通りに過ぎていった。答えの出ない問いを抱えたまま日常を回すことに、この島の住民はどこか慣れているようだった。
A区の統括局庁舎でも、この一週間はいつもと少し違った顔つきをしていた。窓口には普段通りの申請や相談が並んでいたが、職員の何人かは、廊下ですれ違いざまに小声で「両替所、大丈夫なんですかね」と言葉を交わしていた。答えは誰も持っていない。医療センターでは、売店の陳列棚にいくつか新しく南京錠がかけられているのに気づいた患者が何人かいて、看護師たちは「盗難があったので、今さらですけど」と苦笑いしながら同じ説明を繰り返す羽目になった。盗まれたのが絆創膏とビタミン剤、消毒液だと知って、首をかしげる者も少なくなかった。
港では相変わらず猫が一匹、いつもの速度で桟橋から貨物岸壁までを練り歩いていた。誰に頼まれたわけでもなく、誰に見られているわけでもなく、ただ自分の縄張りを確かめるように。釣り人が魚を分けてくれる以外、この一週間の港に特筆すべきことは何もなかった。
夜になると、島のあちこちで小さな明かりが灯る。帰り旗の軒先の手書きの布、自生棟の窓、学習センターの警備灯、そして白いままの黒板の奥にほんの一瞬揺れる灯り。どれも同じ電力で灯っているはずなのに、それぞれがまったく違う意味を持って見える一週間だった。答えの出ない問いはまだ山ほど残っている。それでも、渡神島の夜は、いつも通りに更けていった。