みなみ丸が着いた日から、島は一週間ぶん、よそゆきの顔をした。
ナカ商店街の店はどこも定時で閉まった。帰り旗の黒板からは「本日のツケ可」の一行が消え、ナンジィのレジ横にあった「記帳」のノートは引き出しの奥へ入った。D区の路上直売は日暮れを待たずに片づけられ、番の世話人たちの夜の見回りも、ぱたりと目立たなくなった。誰も申し合わせたわけではない。ただ、皺のないスーツが三つ島を歩いているというだけで、島は自分のだらしないところを一枚めくって、その下に隠した。
隠すのは得意だが、うまくはなかった。ナンジィの棚は品切れのままで、隠したところで空は空だった。ホアンの安西は例のとおり、聞かれたことのいくつかに「その時間帯はメンテナンス中でした」と答えた。A区の庁舎では朝から書類の山が動き、統括局の若手は数日ろくに帰っていない。桐島次長だけが、普段と寸分変わらない顔で廊下を歩いていた。
矢島という会計チーム主任は、そういうものを一つずつ丁寧に見て、何も言わずに歩いていった。商店街の角で足を止め、白いままの黒板を数秒眺めたことについては、その日のうちに三通りの尾鰭がついて島を回った。黒板が白くなってから、そろそろ四週目になる。島を出たい者が円を作る道は、まだ塞がったままだ。給付日から半月が過ぎても、D区の現物相場は落ち着く気配を見せなかった。入港した便がその日のうちに折り返すとき、タラップを上がっていく島民の姿はまばらだった。円がなければ、本土に着いてからの数日をどうすることもできない。
子どもたちの噂はいつでも速い。学習センターでは黒い鞄の中身が話題の中心になり、スパイだ、密売人だ、レーザー兵器だと、話は一時間ごとに大きくなった。補習に呼ばれていた者まで、窓の外の三人組を目で追っていた。学校で聞いた話をあちこちで確かめて回る者もいて、噂は島を一周するあいだに少しずつ形を変えた。大人たちはそれを聞き流しながら、いつもより静かに酒を飲み、いつもと同じ量の飯を食った。検査だ何だと言っても腹は減る。深刻な顔で味噌汁を飲んでいる男が、D区にもB区にもいた。北浦では、老人が普段どおりの時間に船を出していた。海は初夏の凪で、検査のことなど何も知らないという顔をしていた。
一方、A区の庁舎では紙が動いていた。本土からの回答が検査チームと同じ便で届いた。2037年に孫請け業者が送り込んだC区保守の作業員は四人。そのうち三人には2040年の契約終了時の退島記録があり、残る一人にはなかった。その一人が、初めて書類の上で名前を持った。葉山千尋、二十九歳。四年間この島の空調と配管を直し続けた人間が、この島のどの帳簿にも載っていない。その一行を、橋本勇介は何度も読み返していた。
ただ、その名前は島に降りてこなかった。庁舎の限られた机と、この件を追い続けてきた者たちの手元に置かれたままで、井戸端までは届かない。検査の三人が島を歩いているあいだ、誰もそれを大きな声で言おうとしなかったからだ。
代わりに島は、その人を別の言葉で呼び続けていた。南部林の縁に出るという幽霊。沖田が感心した「玄人」。橋本が漏らした「記録にない人」。どこかに、怪我をしているのに医者にかかれない誰かがいるという、誰が言い出したとも知れない話。そして今週、そこに一つ増えた。廃工区の点検口の縁に残されていた布のタグ——「C区設備保守 H-7」。どの名簿にも存在しない保守班の名前が、田端副署長の机に正式に上がった。
呼び名は増えたが、繋がってはいなかった。紙の上に載った名前と、島が使っている呼び名を、まだ誰も声に出して結んでいない。
その一週間、南部林にはまた人が入った。幽霊探しの流行はもう廃れていたのに、二人分の足音が獣道の奥へ続いた。日が傾く前に、その足音は戻ってきた。廃工区の外では、昼のうちに誰かが建屋へ向かって呼びかけていた。返事はなかった。自生棟の「持っていっていい棚」は今週も減ったが、減り方は先週より少なかった。両手で持てるだけ、日持ちのするものだけ、というやり方は変わらないまま、量だけが控えめになっていた。世話役の富永さんは棚の前で少し首をかしげ、それから何も言わずに、空いたところへ乾麺の袋を一つ置いた。
夜の帰り旗は、いつもより客が少なく、いつもより声が低かった。藤堂はグラスを拭きながら、その低い声を全部聞いていた。両替所の黒板は、白いままだった。
検査チームの滞在は、あと数日残っている。