崩落箇所へ通じる獣道は、この一週間でめっきり歩きやすくなった。誰かが整備したわけではない。人が行き、人が戻り、また別の人が行く。その繰り返しで、藪の中に踏み跡が一本の道のように通ってしまったのである。長靴の泥の乾き具合を見れば何度目の来訪か分かる、などと冗談を飛ばす者まで現れ、現場から戻った人間同士がポーシーの上で「今日は誰がいた」「誰とすれ違った」と報告し合う光景も、すっかり日常になっていた。もっとも、これだけ人が通っても、扉のすぐ近くまで寄って長く眺めたと言える者は多くない。足場の悪い斜面を前に、たいていの人は少し離れたところから見物して帰ってくる。
学習センターでは「扉の想像図」がさらに枚数を増やしていた。観音開きの派手なもの、金庫のような丸いハンドルがついたもの、なぜか隅にタコが描き込まれたものまであり、誰の絵がいちばん「それっぽい」かを競う、ささやかな品評会の様相を呈している。AI教育の課題の合間にこっそり描いていた子が職員に見つかり、「せめて縮尺を書きなさい」と言われた、という話も出回った。一方、ポーシーの一角では、何かを机いっぱいに広げて額を寄せ合う一団が見られた。通りがかった者が「何の相談?」と覗き込もうとすると、「まだ途中だから」とやんわり押し返されていた。何を広げていたのかは、その場にいた者にしか分からない。
現場へ通う人の顔ぶれも、日ごとに少しずつ違っていた。出勤前に寄る者、昼休みに自転車で往復する者、弁当を提げて半日腰を据える者。帰りがけに誰かと鉢合わせると、「何か見つかった?」「いや、泥だけ」という挨拶が自然に交わされ、泥のついた靴が玄関に並ぶ家が増えた。ある家では、母親が玄関に新聞紙を敷き詰めて、端に「南用」と書き添えたという。
ナカ商店街のスーパーナンジィの店先では、午後になると決まって世間話が始まる。今週の話題はもちろん南のことで、先週あたりから、「オジイさんたちの世代は、あの辺りに長くいると耳が変になると言っていたらしい」という話が、人から人へ渡るうちに「オジイさんたちが自分で体験した話」のように丸められて聞こえてくるようになっていた。レジ横の丸椅子に座った老夫婦は、それを聞くたびに首を振った。
「いやいや、そこまでは言ってないよ。オジイさんたちも、子どもの頃に年寄りから言われたんだとさ。自分で行って何かあった、って話は、聞いたことがない」
「私らは、その又聞きの又聞きだからねえ。行くなと言われたのは覚えてるけど、どうして行くなのかは、誰にも聞けなかった」
夫が「そういうもんだ」と付け足し、レジを打った。買い物に来た客の一人が「じゃあ結局、誰も知らないのか」と笑うと、老夫婦も「そういうこと」と笑って釣り銭を渡した。伝わっているのは「行くな」という言葉だけで、その先は誰の手にも渡されていない。そのことを、店先の誰もが少し不思議がりながら、深刻には受け止めていなかった。ちなみにこの週、ナンジィでは長靴用の泥落としブラシと虫除けがよく売れ、握り飯の弁当は昼前に棚から消えた。南に行く人間が増えると、腹の減る人間も増える。
崩落箇所に長く居ると耳鳴りや頭痛を覚える、という話は今週も途切れなかった。ただ、聞こえてくる数が増えるにつれて、何も感じなかった人のほうがずっと多いこともはっきりしてきた。同じ場所に同じくらい居ても、ふらついて早々に引き上げる人もいれば、持参した昼食をきれいに平らげて帰る人もいる。誰が出やすいのか、何をしたら出るのかを言える者はおらず、現場を離れれば治まるという点だけが、皆の話の一致するところだった。原因は誰にも分からないまま、「分からないものは分からない」という島の流儀で、話は流れていった。
シンは今週も現場に近づかなかった。神谷のコンテナの近くで、いつもと変わらない様子で過ごしていたという。北浦の浜では、オジイとリンが相変わらず並んで竿を出していた。道行く人があれこれ尋ねても、リンは竿先から目を離さずに「魚は待ってくれないからね」と笑って流し、オジイは返事の代わりに糸を巻き直す。二人の足元のバケツには、今週もそれなりの数の魚が泳いでいた。
週も半ばを過ぎた頃、橋本から連絡が回ってきた。来週、本土から確認の人が来る。日程はもう動かせないらしい。統括局の窓口で今週何度目かの説明をしていた橋本は、この連絡だけは珍しく迷わず口にして、続けて「中身は、私も詳しくは聞いてないんですけど」と付け足した。聞いた者は一様に顔を見合わせ、それからポーシーの画面を覗き込んで、日付を指で数えた。
つまり、あそこには、もう入れなくなる。